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土田浩翔プロ 特別書き下ろしコラム
14人の師

(つちだ こうしょう)
土田浩翔 第11、22期鳳凰位・第22、23期十段位、第26期王位/他多数
著書「土田流麻雀 仕掛けを極める」
「最強麻雀土田システム」
「麻雀が強くなるトイツ理論」

第一打「運の育て方」2010/10/12

若かりし頃、私は放銃すると<運>が下がり、和了すると<運>が上がると信じていました。ですから、放銃は<悪>とさえ思っていたんです。また、同じ和了でもロンあがりのほうが敵から<運>が奪えると思ってたので、自分の捨て牌に工夫を凝らし、放銃を誘いやすい河作りに力を入れてました。

卓内の総運量を100と設定し、その100を奪い合いするゲームと考えてましたから、とにかく放銃せずにロンあがりを重ねれば、どんどん<運>が上向いて圧勝状態になると信じていました。

ところが・・・・・・プロになってタイトルに手が届きそうになるものの、今一歩のところで優勝を逃しつづけ、準優勝に甘んじるケースが頻発するようになりました。

オカシイな?どうして勝ち切れないんだろう?しっかりバランスよく打ってるはずなのにな、とかとか、思うものの、自分の決め手不足がどこにあるのか、よくわかりませんでした。

そんなある日のこと、私はある人の後ろで見ていて目からウロコが落ちるようなシーンに出食わしたんです。

その打ち手は、東1局にマンガン放銃、南1局にもマンガン放銃しているにもかかわらず、涼しい顔でトップを取ったのです。

そして、次のゲームもそのまた次のゲームも、マンガンクラスの放銃を繰り広げながら、トップを重ねていったのです。

<あり得ない・・・・・・>、私の中にあった裏付けの無い自信が崩れ去っていきました。

どうして高い手に放銃して<運>が削られているはずなのに、放銃点以上の和了点が入ってくるのだろ?この謎を解くために、その日以来、機会がある毎にその打ち手の後ろに張り付いていました。

そして謎は解けたのです。

私はその打ち手のある特徴に気付きました。放銃と和了に著しいパターンがあることを見つけたのです。

それは何かと言えば、その局の一番点棒を持っている打ち手には放銃しないことと、高い手の和了はほとんどツモあがりだったのです。この2点が顕著でした。

私は考えました。もしかすると・・・私は大いなる勘違いをしていたのかも。

卓内の総運量を100に設定する考え方が間違っていて、実は<運量>は相対的なものではなくて絶対評価すべきものなのでは?と気付かされたのです。

更に、放銃にも<運>が下がらず、時として<運>が上がる放銃があること、和了については、ロンあがりよりもツモあがりの方が<運>が上がることを知りました。

それからというもの・・・・・・

東1局、Aさんが80、Bさんが60、Cさんが50、Dさんが30という<運量>でスタートするゲームもあれば、Aさんが80、Bさんも80、Cさんが70、Dさんが60でスタートするゲームもあるというように、絶対評価で<運量>を測るようになったのです。

そう考えると、卓内の<運量>の総和が220の卓もあれば、290の卓もあり、マンガンが出現しにくい小場回りの卓、マンガンが飛び交う荒れ模様の卓というように、卓を囲む打ち手の力次第で<運量>はいかようにも変化するということなのです。

私がビッグタイトルを獲れるようになったのは30代後半からですが、ロンあがり主体の打ち方から切り替え、放銃をきにしなくなってから(ただし、好調者への放銃はタブーとしています)だと思っています。

そして<運を育てる>ことをことさら強く意識するようになって、私の戦績は飛躍的にアップしたのです。

始まり始まりの東1局、私は何を考えて打ってるかと言えば、ひたすら<運>を上げるように打っています。

あがれなくていいんです。

親番が無くたっていいんです。

放銃したっていいんです。

極論に聞こえるかもしれませんが、マージャンというゲーム、実はあがりを目指さなくてもいいゲームなんじゃないかなって思える部分がたくさんあるんです。

じゃあ何のために打つのかって?

<運>を育てると同時に、自分自身を育てるために打ってるんです。

ひと口に<運>を育てると言ってもわかりにくいと思うので、ひとつの手牌を例に挙げて説明しましょう。

二萬 三萬 四萬 五萬 五萬 六萬 二筒 四筒 五筒 六筒 一索 二索 三索 二筒ツモ 七筒ドラ

東1局6巡目、親の手牌です。

ツモ二筒でテンパイとなりました。待ちは一萬四萬七萬の3メンチャン。巡目も早いので即リーチとカブせたいところです。

でも私の打牌は一索です。

二萬 三萬 四萬 五萬 五萬 六萬 二筒 二筒 四筒 五筒 六筒 二索 三索

こういう形のイーシャンテンに戻し、しかもフリテンに構えます。

そんなバカな!とおっしゃるなかれ。

手配が育っていくような形をしているならば、とことん育てていく構えを見せることが、東1局の使命だと思っています。

こんな形なら私だってテンパイはとります。

二萬 三萬 四萬 五萬 六萬 一筒 一筒 一索 二索 三索 七索 八索 九索 七筒ドラ

この手牌はピンフにしかなりようがありませんから、素直に3メン待ちのテンパイにとります。でも、先の手牌は違います。

234の三色、ドラ七筒との手替わり、タンヤオへの手替わり、これらの可能性を否定しない一索切りが<運>を育てる打ち方だと考えているのです。

親番で連荘を重ねていれば、そのうち自然にマンガンクラスの手は入ってくるさ、という考え方もありますが、目の前にある形だけで打っていると、育てることを忘れた中身の薄い打ち方になってしまうのです。

時速150kmを超える球速を誇るピッチャーでも、その球に重さや精密なコントロールが無いと簡単に打たれてしまいます。それと同じことで、テンパイが早けりゃイイってものではないことをもっと知るべきなのです。

せっかくテンパイした3メンチャンをフリテンのイーシャンテンに戻してうまくいくのか?と言われれば、うまくいくケースのほうが少ないと思います。そんなことは百も承知のうえで、一索を捨てていくのです。

あっさりあがって連荘出来てる手を逃すばかりか、子方にマンガンとかツモられて、大損したような気分になるかもしれません。

そこがひとつの大きなポイントで、<運>を育てると同時に、自分自身の心の強さを育てる意味合いが強いのです。

損して得とる式の考え方で、局部的にはとても不利な状況を招くこともあるのですが、トータルで考えた場合、目先のあがりにこだわらない打ち方をしていたほうがプラスに働くことが多いのです。

とくに、始まったばかりの東1局や東2局では、海のものとも山のものともわからぬ自身の<運量>をMAXに設定した打ち方をしたほうが、<運>は確実に育つのです。

東1局にあがると、とても幸先のよいスタートを切れたような感覚になりますが、実はせっかく持ってきた<運>の高さを減らしてしまう和了もあるのです。

マージャンはあがればいいってものではないことを知ったうえで打つと、視点が変わり懐の深い打ち方が出来るようになります。

第二打では、そのあたりの愉快な話を書いてみたいと思います。

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