全自動卓が進化を遂げたこと、ネット麻雀が普及したこと、そしてプロや麻雀コラムニストたちの言動によって、10年前に比べ、6巡目までにかかるリーチが飛躍的に多くなりました。
とくに親の速攻リーチが有効と判断されているようで、待ちの形や打点に縛られることなく、3メンツ1雀頭を最速で仕上げる打法が歓迎されています。
6巡目にこの手になったら、親子にかかわることなく、迷わずかを横に曲げています。
こんな手もそうです。
やが場に顔を見せてなかったり、片方だけ1枚出ている状況であればノータイムでリーチをかけます。
どちらも1枚ずつ出ている状況でさえ、親の人なら即リーを打つケースが多いようです。
[先手必勝]、シャンテン戻しをして手替わりを待つ数巡の間に他家の手牌が進行し、追いつかれ追い越されるリスクを背負う必要はないのです。
とくに親を迎えたときには、[連荘する]という大命題がありますから、6巡目までにリーチをかけられるメリットは計り知れないということになります。
翻って…私はと言いますと…
6巡目にこのようなテンパイが入っても、リーチをかけないどころか、やに手を伸ばし、テンパイを崩したりしています。
目指すところは…
たとえ親であっても、よほどのピンチでない限り、待ちでのピンフテンパイをとることはありません。
それはどうしてか?
[チャンス]を与えてくれている麻雀の神様に、その[チャンス]をフイにする選択は申し訳が立たないと思っているからです。
[欲]ではありません。
なぜかと言いますと、持ち点が大幅にマイナスしていたり、ピンチが訪れているときには、待ちのピンフテンパイをとるからです。
[数の世界]だけに囚われてしまうと、大きく沈んでいる失点を挽回する[チャンス]と勘違いして、を外していったりしますが、それは[欲]以外の何ものでもありません。
いつの場合でも、自分自身を客観視できる[眼]を持つことが大切でありますから、同じ手牌同じ場況(同じ巡目)でも、選択する打牌は変化して普通なのです。
[身の丈に合った]打ち方をしていけば、麻雀の神様が味方してくれるはずです。
そもそも、麻雀というゲームの本質は、[アガる]ということではなく[育てる]というところにありますから、常にその意識をもって対局していれば、麻雀の神様は喜んでくれるでしょう。
東2局の親、5巡目のものです。
の3メンチャンリーチが打てます。しかもドラ入りなので、をツモったり裏ドラが乗れば、親満成就となります。
さすがにこの手をリーチしても麻雀の神様にソッポを向かれる心配はない、そう考える人は多いかもしれません。
でも私は99%リーチはしません。
1%だけは、醜い心をもった人間なので、体調が悪かったり、嫌だなと思う空気の中で打っていたり、苛々してたりすると、を横に曲げ麻雀の神様にガッカリされる打ち手と化してしまいます。
若い人たち、とりわけ冒頭に書いたネット世代の打ち手たちには地球が引っくり返っても理解できない話でしょう。
親で5巡目にドラ入りの3メンチャンテンパイをリーチしないなんて、[あり得ない]ヌルい話をこれからしてみます。
このテンパイ、私には[不自然]に映ってしまいます。
何が[不自然]かと申しますと、雀頭の、これが不自然極まりなく収まりが悪いのです。
はどなたも御存知のように三元牌の役牌です。
風牌の場合には、その風向きによって役牌からオタ風に変化する性質がありますから、純度の高い役牌ではありません。
しかし、三元牌はいつだって役牌ですから、その純度によって高い輝きを放っているのです。
ところが三元牌を役牌ではなく雀頭で使ってしまうと、たちまちその輝きは失せ、居心地の悪さばかりが目についてしまいます。
だから[不自然]に見えるのです。
更にこの手牌にはもうひとつ[不自然]な牌が在ります。
ピンズで1メンツ構成されているですが、私の眼からは収まりの悪い牌に見えてしまいます。
これがではなくであれば、燦然とした輝きが放たれてるのに…どうしてなの?と思ってしまうのです。
この美しい並びになっていれば、役牌のが雀頭で終わっても(それでも打とするケースもありますが)収まりの悪さはが手牌に組み込まれているときの3分の1程度に薄まります。
三色同順が1等星の輝きだとすれば、役牌のそれは2等星クラスですから、雀頭の即リーチが[不自然]に映らないのです。
6巡目にテンパイ(南家)
切りの即リーチに異論を挟める時代ではありませんが…不確実なゲームである麻雀において、囲碁・将棋のように[より確かなもの]を求めていく風潮に逆らう少数派がいてもよいのではと思っています。
目の前にある手牌に対しての[損得勘定]に目を奪われて、麻雀というゲームの底知れぬ魅力から目を背けてしまうと、極めて凡庸な絵合わせゲームに終始することになりかねません。
ではこの手牌をどうするのか?
を切ってテンパイをとる手もアリですが、場を見てを切る手だってあります。
こうしておいて、が来てリャンメンに育ててからリーチ。
やが来て、ツモり三暗刻に育ててからリーチ。
ドラが来てを切ればこんな形のイーシャンテンに。
いろいろな可能性があります。
『そんなふうに手替わりしていく可能性は何%あると考えているのですか?』
『そのパーセンテージを考えれば、切り即リーチのほうが、和了率が高いのは当然でしょう』
とバッサリ斬り捨てられることは百も承知です。
でも私は自分の可能性を否定しながら打ちたくないんです。
麻雀には夢があふれています。
その夢をひとつひとつ叶えていくのが私の楽しみでもあり、プロとしての使命だと思っています。
だから、早い巡目でテンパイしてしまったら、「このままリーチしても大丈夫ですか?」と麻雀の神様に聞くことにしているんです。