── ここから切り飛ばしたは、そのときは確かにただの不要牌だったのかもしれない。
私が初めてアルバイトをした雀荘に、私より少し先に入った、あまり仕事の出来ない先輩がいた。彼はずんぐりと太っていて、口下手で気も小さく、およそ客商売に向いているようには見えなかった。いつも同じ服を着ていて、なんとなく清潔感に乏しい印象があった。
おそらく、他の同僚からもあまり好かれていなかったであろう。それは、新人の私からも容易に見てとれた。
しかし、そのときの店長がとても出来た人間で、彼が店で孤立しないようにいつも声をかけていた。メンバー同士飲みに行くときは、彼が遠慮しないようにうまく引っ張って連れて行ったし、彼が仕事で失敗しても、いつも軽口を交えながら負担にならぬように教えていた。
彼も、店長がいるおかげで店の雰囲気にも打ち解けてきて、だんだんと明るく接客が出来るようになっていったのである。
ところがあるとき店長が体を壊して、長期で入院することになった。残ったメンバーで店を回し、私も大学に行かないでずっとシフトに入っていた。多忙な日が続き、メンバー達も疲弊の表情を隠せなくなっていた。
そうすると、やはり不器用な彼の仕事ぶりが目立って周囲を苛立たせるようになる。同僚は彼の仕事のミスを公然となじって、ストレスの捌け口にするようになった。入ったばかりの私が雰囲気を取り繕うことは難しく、私はただ与えられた仕事を淡々とこなして日々を過ごした。
彼は勤務中ほとんど口を開くことはなくなり、最初の印象よりもずっと陰湿になってしまった。
ある日彼が勤務時刻になっても店に現れず、バックれたんだろうと誰かが言った。同僚や、客までもがここぞとばかりに彼を揶揄し始め、私は困惑した。
彼を切り捨てた店はさらに忙しくなり、私は彼に対して無力だった自分を恥じた。
最初は不要牌に過ぎなかったが、要のによって、初めてその価値を得たのである。
思えば、店をうまく回していく責任者の存在ひとつで、ともすればその空間から弾き出されても仕方のないはぐれ分子も、意味のある存在になったのだ。
本当に彼が不要牌だったのか──。私は今でも心にしこりが残る。
数ヵ月後に店長が職場に戻ってきたときは、店にはもう彼を呼び戻すような雰囲気はなく、期せずして私が主要メンバーとして籍を固定するようになっていた。私だってそう使えた人間ではなかったが、彼をたまたま押しのけるような形で居座ってしまったため、複雑な心境だった。
彼が辞めた話を聞いて、店長は少し寂しそうな顔をした。
私は現在、他の店で店長職をやっている。接客のうまいメンバーもいれば、苦手な者もいる。麻雀の強いやつもいれば、そうでないやつもいる。
しかしこう──、なんというか、本当の意味で使えない人間など、いないのである。誰しもが自分の役割を持っており、店を動かしていく上で欠かせない人材ばかりだ。
自分が要の牌などとは勿論思わない。もともとメンバー自体、社会から見ればはぐれ者の集まりなのだ。しかしだからこそ、誰かを不要牌として切り捨てていくようなことは、出来れば避けていきたいのである。
全ての者に、生きていく価値を。
それを見つけて初めて、私達は全体で美しい和了を成就させられるのではないだろうか。