東2局のことでした。
南家がこの手牌になったのが4巡目。
ピンフ・赤・ドラ、もしくはピンフ・ドラでリーチをかけられるリャンシャンテン手牌になっています。
次にを引いてイーシャンテンに進めることが出来れば何も問題ないのですが、ツモ
と来たら、南家は
、
のどちらを先に切るのでしょうか?
にもう1枚
が重なり、
と雀頭の交換ができれば嬉しいし、
に
なり
なりがくっつけば、
というソーズターツと交換できるので、
を活かす道を残す
切りを支持する人は多いはずです。
ただ、カンがスンナリ埋まったことで、次善策ではあるものの、ピンフ・ドラ1の好形イーシャンテン。いつまでも
を抱えた不安定な手牌にしておくのは危険と考え、
より先に
を処理し、その後、共通安全牌を引いてくれば、
をも河に放しておく手順も納得感があります。
では、や
ではなく、
から入ったイーシャンテンの場合は?
えっ?!、誰が打っても切りしかないわけで…それ以外の選択は初歩的なミスと断罪されておかしくない設問に見えるはずです。
もしこの手牌からや
を打っていく打ち手を見たとき、あなたはどんな印象を持たれるでしょうか。
カンから先に埋まっての打
と、カンチャンから埋まらずにリャンメンの
が先に埋まっての打
では、見る者の印象をこうも変えてしまうものなのでしょうか。
4巡目の手牌から、を引いて打
、
を引いて打
のテンパイとらず、更に
を引いてこのテンパイ。
あるいは、4巡目の手牌から、を引いて打
、
を引いて打
、更に
を引いてこのテンパイ。
『あり得ないことではないけれど、多くは〈夢物語〉に終わるハナシ』と片付けられることは百も承知しています。
5巡目の親の手牌です。
東4局で▲3000と少し沈んでいるものの、この速さでこの打点、文句無しのテンパイと言えるでしょう。
そしてこの親の4巡目までの河は、次のようになっていました。
(オール手出し)
ほんの少し、変則手の匂いがするものの、リーチをかけてがビタ止めされるほどのものではありません。
もちろん、親リーチの威力は絶大ですから、早いリーチゆえ、降参する子方が続出し、生牌のが懐深く抱えられたまま流局してしまうケースも十分考えられます。
でも…自力ではもちろんのこと、ドラだってツモる可能性も十分あるわけですから、子方に自由に打たせず、即リーチに打って出る策に異論はありません。
ところが、この親はそんな目論見をあっさり裏切る切りとしたのです。
えっ?!、まさか??
ヤミテンで7700のロン、ツモれば親満、リーチをかければ無条件で親満、うまくいけば親ッパネまであるテンパイを崩す打。
この想定外の1打を放った親は、2巡後にを引くと打
、更に安全牌の
を引くと打
としました。
ツモり四暗刻テンパイまでイーシャンテン。なるほど、打ち手は親番維持に精力を傾けることなく、自らが描いた最終絵図に向けて、着実に歩みを進めていたわけです。
『この手牌が四暗刻成就に至るケースは、百にひとつもないはずで、多くは〈夢物語〉に終わるハナシ』と片付けられることは百も承知しています。
この局も〈夢物語〉は成就せず、2枚目のを渋々ポンし、次巡ドラの
をツモり8000オール止まりとなってしまいましたが、打ち手はまた〈夢〉に向かって、1本場での第1打を放っていったのです。
東1局、配牌をとると、何とテンパイ!
さてを切って
待ちのダブルリーチをかけるのか、
を切って
待ちのダブルリーチをかけるのか、迷うところです。
イヤイヤ、親のダブルリーチなのだから、子方の対応を考えれば、を切ってロンしやすい
で待つのが普通。というか、そう打たない打ち手はヌルイ!!とおっしゃる方は多いような気がします。
ダブルリーチに七対子ですから、裏ドラが乗らなくても、ロンで9600、ツモれば親満。何も赤にこだわる必要がない、実に明快な選択と考えてのことでしょう。
ところが…意に反し、この親は切りのヤミテンを選択したのです。
えっ?!、ただの七対子・赤1??
ヤミテンで4800のロンアガり狙いなのか、それにしても開局から何と消極的な選択を…と見ていると、2巡目にを引き、打
とテンパイを壊し、3巡目に
を引いて
を連打。
あらら、メンホン七対子にドラまで従えてのイーシャンテンになっているではありませんか。
更に6巡目にドラのを重ね、
を切って堂々とリーチ!!
ロンアガりでも親倍の超大物手に仕上げた親を評して、『これはただの偶然で、多くは〈夢物語〉に終わるハナシ。だから、たった1例だけを挙げて褒めそやすのは愚の骨頂』と片付けられることは百も承知しています。
私は、愛好者の皆さんが、やれデジタルだ、やれ効率だ、やれ場況だ、やれレイティングだと、あれやこれや語り合ったり、持論を展開したり、時には手厳しい批評を加えることに何の異論もありませんし、むしろ歓迎すべき風潮と思っています。
プロの世界も似たようなもので、愛好者に少しだけプラスアルファされた存在として、対局はもちろんのこと、勉強会・研究会を通して、『麻雀進化論』を提唱したり模索し合ったりしています。
そんな姿を見るにつけ、〈数〉の世界を極めていけるとても良い時代になったなとさえ思っています。
でも…こう思うのです。
果たしてスーパースターは生まれるのかな?
プロは愛好者の皆さんに〈感動〉していただいてナンボの存在です。
プロは愛好者の皆さんに〈夢〉を見ていただいてナンボの存在です。
そしてプロは、愛好者の皆さんに〈希望〉と〈勇気〉を与えられる存在でなければなりません。
百にひとつ、千にひとつの可能性にチャレンジし、〈夢物語〉を現実のものとし、常識という枠組みから飛び出せる存在にならなくては、スーパースターとは成り得ません。
基本をおざなりにしてはいけません。
〈数〉を知り尽くすことも大切です。
損得勘定もわかっていることは言うに及びません。
それでも、これらのファクターを飛び超え、創造力にあふれるスーパースターが現れることを願ってやみません。