配牌を手にしたとき、皆さんはどんなことを頭に浮かべて第1ツモに手を伸ばしたり、第1打を放っていくのでしょうか。
〇 アガれそうなのか否か
〇 アガれるとすれば、メンゼンなのか仕掛けなのか
〇 ドラは使えそうなのか否か
〇 リーチをかけるにはどんな形に持っていけばいいのか
〇 アガれないとすれば、誰がこの局の主役になるのだろうか
〇 手牌の急所はいくつあるのか
まだまだ浮かぶことはあるでしょう。
でも打ち手によっては全く違うことを頭に浮かべながら配牌を見ているひともいるようです。
たとえば…
東2局、親の配牌です。
ツモと敢えて記したのは、親が開門して配牌を取るとき、最後の2枚を〈チョン・チョン〉とひとつ置きに取り出すわけですが、その最後の〈チョン〉が親の第1ツモになるわけなので、〈ツモ筋〉なるものを気にかける打ち手もいるでしょうから記しておきました。
今や自動配牌の全自動卓も多くなってきていますが、それでも親の人は、第1ツモを持ってきてから第1打をしますから、わかりやすくなっています。
さて上の手牌から何を思考するのか?
手なりで打ち進める前提の打ち手は
このテンパイでリーチをかけていく、それも1巡でも早くテンパイさせたい、そんな思いでこの手牌を眺めていることでしょう。
第1ツモに何らかの意味を感じたい打ち手にとっては、ダブの感触には、少なからず〈手役〉への匂いを嗅ぎとっているはずで、こんな最終形を描いているかもしれません。
もしくはトイトイへ向かって
ダブの第1ツモに感じる〈手役〉の力をイメージして、第1打に
や
を選んでいる打ち手がいることも事実なのです。
また、トイツが好きな打ち手は、配牌で3組もトイツがあると、真っ先に七対子でのアガりを想像してしまいます。
それぞれの想いを乗せて場は開かれていくわけでありまして、『そんな〈手役〉狙いをしてるからアガれなくなるんだ』という声など馬耳東風、我が道を歩いていくのです。
私も職業柄、日本全国、色々な土地の方々と麻雀談義に花を咲かせてきましたが、私が思っているより遥かに多くの〈手役派〉がいることに、安堵の念を抱いています。
もちろん、最速でアガりに向かっていく打ち方を遠ざけたいわけではなく、『麻雀はアガってナンボ』という現実派が多数派を形成しているわけではないところに、麻雀の魅力を再認識している次第なのです。
私は先の配牌から第1打にはを選択します。
恐らく、東場の親番であれば、よほどヘコんで迎えた親番でないかぎり、打牌候補にはしか目に入ってこないのです。
そして私のおかしなおかしな想像力は、こんな最終形に向かっていきます。
四暗刻かメンホン七対子。
四暗刻になるときは、尖張牌の3か7が暗刻になっているという持論をもっている私としましては、配牌にあるがその暗刻候補として、実に魅力的な牌に見えてしまうのです。
メンホン七対子には、やはり偶数牌の活躍が不可欠で、すでに配牌でと
が鎮座してくれている強みがあり、私の想像力はぐっと膨らんでいくのです。
そういえば、先日こんなことがありました。
このコラムがアップされる頃には、もしかすると動画サイトなどにもアップされているかもしれません。
加齢が進む私の〈海馬〉では、定かではない配牌をお許しください。確かこんな配牌だったような…
で、第1ツモが。
このとき私のおかしなおかしな想像力は極限まで膨らんでしまい…
出てきた絵図は《緑一色》。
ソーズの混一色ではなく《緑一色》だったのです。
東2局の親番でしたが役牌プラス混一色や清一色には想像力がついていく気配が皆無でした。
そして西家が第2打に切ったに「ポン」と声が出ていました。
あと何枚引いてくれば《緑一色》になるのか?などという〈数字〉には全く興味がなく、ただ自分の想像力にまかせて仕掛けていった私。
2巡後にを引いてきて打
。
その2巡後にが出て、ポンして打
。
次巡が重なって打
(
は生牌)。
が出てきたらどうしよう。
ポンして親満のテンパイになるけれど、自分がポンしているカン待ちではアガりがほとんど見込めないし、なにより《緑一色》が崩れちゃうし…
と思っていた2巡後、下家からリーチがかかりました。
そうだよなぁ~、こんな手、そもそも大した配牌じゃなかったんだから当然こうなるよなぁ、と心の内でブツブツ嘆いていたら、同巡のツモが。
リーチ者の河にはがありましたが、
ポンの壁ということもあり、まさかまさかの《緑一色》ということも…打
としました。
すると次巡、ツモ。
えっ?!まさか??
生牌でしたがを通す私。
同巡、北家からもリーチがかかります。
私の一発目のツモがドラの。
ア~ア、ここまでか、と打。
すると北家のリーチ一発目のツモが。
「ポ…ポン」
打…セーフ。
このあとはもう記憶にありません。
10月8日、福岡の某所で行われた配信対局でのヒトコマでした。
《想像力》で打つ麻雀は、アガり回数は少ないかもしれませんが、その過程を楽しむ時間のステキなこと。
アガれなくても、ひとつひとつ埋まっていって自分の想像した世界に近づくだけで、『麻雀ってホントに楽しいなぁ』と叫びたくなるのです。