この手牌になったのが6巡目のこと。
どれが引けても、最低でも7700が貰える親リーチになり、内心ウハウハのイーシャンテン形でした。
7巡目、ツモ。
素直に暗槓すれば、今度は最低点が9600にアップするリーチが打てるので、喜んで「カン!」と宣言しました。
リンシャン牌は?と期待したものの、場に2枚切れので、楽しみは次巡以降に持ち越しとなりました。
同巡、南家はをツモってフッと息を吐きました。
ドラドラ赤1のチャンス手で、上家の親がを切ってくれたら、場にはが2枚出ていることもあって、チーテンのマンガンテンパイをとるつもりでいました。
そんな折、あろうことか欲しかったを親が暗槓し、大きく誤算が生じた瞬間のツモでしたから、南家としてはピンチをチャンスに変える転機が訪れたも同然でした。
選択肢は3つ。
が残り山に極薄となったので、その受けを拒否する切り。
こうしておけば、ポンテン・チーテンもとれますし、七対子や三暗刻の可能性も残るので、むしろ視界が広がった感すらあります。
2つめの選択は切り。
切りとの大きな違いは、が引けてタンヤオ・七対子・ドラドラ・赤のハネマンテンパイになった時、その待ちを暗槓の外側でアガリ易そうなにできること。
もちろん、残り山にがありそうだから、七対子との天秤もかけやすいという考え方もあるでしょう。
ただし、ツモでのツモり三暗刻テンパイにはならないため、若干ロスが生じやすい構えかもしれません。
最後の選択は切り。
暗刻のを1枚外しての七対子決め打ちで、暗刻手もイーペーコーも拒否する大胆不敵な選択となりますから、相当な腹のくくり方が必要です。
七対子が好きな人であれば、すぐに合点がいくと思いますが、七対子テンパイに必要な牌、・・すべてが<スジ対子>の対象牌となっているのです。
のスジが対子、のスジが対子、のスジが対子なので、いかにもこの手牌は七対子で仕上がりますよ的なサインが出ていると考えるのです。
実際、南家の選択はでした。
仮にという話であれば、の暗槓が入っていなければ南家としてここまで大胆な選択は出来なかったはずで、切りがせいぜいだったのではないでしょうか。
9巡目、親のツモは。
当然のごとくを横に曲げてリーチ。
ツモれば文句なしの4000オール、親としては力の入るリーチとなりました。
同巡、南家のツモは。
七対子に決め打っていたので、かかの選択になりましたが、暗槓の外側は、親リーチを受けた西家や北家の死角に入りやすいので、を勝負して待ちハネマンテンパイとしました。
仮にが暗槓されずにゲームが進行されていたら南家の手牌はこうなっていましたから
暗刻のは勝負しにくいので、を切ってリーチ、もしくはが親の現物だったならばヤミテンの待ちになっていたはずです。
11巡目、手詰まりした北家が、の暗槓を頼りにして対子のを落としてきて南家へハネマンの放銃という結末に。
暗槓恐るべし!!
ではなくて…
なぜ日本では暗槓を開示するのでしょうか?
まったくもって不合理極まりない<決め事>で、世界の笑い者になっているような気がしてなりません。
自分の力で4枚にした成果を、何故ゆえ他家にお知らせしなければならないのか、この古くからの<決め事>は、競技という側面からも、断固として『廃止』すべきものなのではないでしょうか。
「カン」と宣言して、手中の4枚を伏せたままチー、ポンと同じ要領で晒す、いたってシンプルでスマートな暗槓になるはずです。
4巡目の親の手牌です。
現行のままでしたら、ツモってきたドラのをそのまま切るか、空切りするか、いずれにしても子方のマークが厳しくなる暗槓という選択は避ける人が多いはずです。
なぜなら、ドラのを4枚開示してから暗槓するという<決め事>があるためです。
これが4枚とも伏せたまま暗槓するという世界共通(日本以外)の決め事で競技が行われていたら…ほとんどの人が堂々と暗槓し、ツモ回数を増やすはずです。
もちろん、用心深い人もいるでしょうから、中盤以降もしかしたら4枚伏せられたまま暗槓されている牌がなのでは?と怪しまれないように、どこかの巡でさりげなく河に1枚放出する可能性もあるでしょうが…
暗槓すれば符が大きくなる。
暗槓すればドラが増える。
暗槓すれば威嚇できる。
まだ他にも暗槓する理由はあるでしょうが、暗槓した牌を開示する競技的メリットはひとつも無く、遊びごころとして、あるいは博奕的要素としてその<決め事>が長く通用してきたことは残念でなりません。
6巡目、打ち手は4枚目のをツモってきて少考(3秒ほど)し、リーチをかけずにを暗槓しました。
リンシャンから引いた牌は。
そして新ドラはなんと!!
「リーチ」
打ち手はを横に曲げました。
場にはが2枚出ていましたが、新ドラがになったため、この、実はとてもいい待ちになっていたのです。
開示された暗槓牌がで、場に2枚切れのがロンされる形は想像しがたく、しかもリーチ表示牌がでしたから、タンキ待ち、しかも地獄タンキのになっているケースは皆無に近く、9巡目にオリを決めていた人からがこぼれてしまったことは、責めきれるものではありませんでした。
暗槓を開示するという<決め事>の虚を突くような戦略も時にはあるもので、だから競技性が損なわれるだけとは限らないという反論もあるでしょうが、手の内にある4枚を開示せよという理由としては弱いと言わざるを得ません。
暗槓を4枚とも伏せたまま晒すという改革をした場合、必ず決めておくべき<決め事>があります。
それは、誰かのアガりの有無にかかわらず、局が終わる時、必ずその伏せた4枚を開示して、他家に何を暗槓したのかを明示する義務を負うという<決め事>です。
この<決め事>をうっかり忘れて次の局に入ってしまった場合には、千点供託もしくはそれに準ずるペナルティを課せられるとしておけば、トラブルも起こらないはずです。
Maru-Janのケースでは、局終了時に暗槓牌が自動的に開示されるシステムになるでしょうから、全く問題ないと思います。
プロ・アマ問わず、競技界に携わる方々、そしてフリー麻雀、健康麻雀、教室に携わる方々は、ルールの統一となるとなかなか歩調を合わせるのは難しいかもしれませんが、暗槓の<決め事>を世界標準に変える歩調は合わせられる可能性はあります。
令和元年、『暗槓非開示』運動を皆さんと一緒に始めてみたい気持ちでいっぱいです。