東1局、親にこんな手牌が訪れました。
5巡目を迎えるときの話ですから、メンツは出来ていなくても、かなり前向きな気持ちがもてる手牌に見えました。
ツモ
手の中にある14枚、何を切っても3シャンテンなので、迷うに値する手牌でした。
このとき打ち手の<麻雀脳>は次の3点にスポットを当てていました。
1.親で連荘するためには…
2.赤牌を使いきるには…
3.リャンメン形でリーチするためには…
以上の観点から導かれた選択肢は唯ひとつ。
打。
そうです、ドラ切りの1択だったのです。
赤が2枚入っている手牌ですから、表ドラまで使おうとするのは少し欲張り過ぎかも、という考えと、運よくドラ表示牌のが引けないかぎり、
や
というターツになったとき、一気にアガりから遠ざかってしまうので、ドラ
は不要という結論に。
こうしておけば、や
から入ってきたとき、喰いタンも含め、アガりへの道筋がぐんと増えることになります。
ただし、ツモや
が先になると少し難しくなります。
を1枚外してマンズの引き方を様子見する選択もあるでしょうし、ツモ
からであれば、打
と構えて345の三色形を残しての喰いタン親満コースもあるでしょう。
ここからや
に初動をかけて、タンヤオ・三色・赤赤へ真っしぐらに走ります。
チー、打
で
最悪が入ってきても、打
とすれば
待ちは苦しそうに見えるものの、動いている親の河には→
と並ぶので、子方が読みを入れると、
は危なそうに見えても、
は通りそうにも見えるのです。
(もしを持っていて
の待ちになるにせよ、
が暗刻になっても喰いタンならOKなはずなので、
からは
外しが常道という読みを入れるため、
→
切りの
待ちは考えにくいという結論に至るからです)
では先の手牌からに初動をかけるケースの打牌は何になるのでしょうか?
親満狙いの打ち手はカンでチーしますから、よほどマンズが場で高くなっていない限り、打
とするはずです。
この後、ツモや
で雀頭がチェンジできるようであれば、タンヤオが確定します。
チーの初動より変化の幅が広がるので
チーから入るのも面白いかもしれません。
もっとも、チーから初動をかけて、タンヤオが確定する
→
切りを敢行する打ち手がいても不思議ではありません。
こうしておけば、引きや
チーでも5800が確約されるので、345の三色にこだわる打ち手よりアガりが近いかもしれません。
ただし、をチーした後、上家から
が出てきたら、どんな形でチーすればいいのか、少し悩む可能性も。
カンでチーすれば
親満が確定していますが、カンをチーして更にカン
待ちでは少しだけアガりから遠ざかるかもしれません。
親番なので連荘までの道のりを確かなものにしたいと考えるのであれば、カンでチーするのではなく、リャンメンでチーして、
待ちへ
をチーの部分に使って、最低でも5800ありますよ!と子方に脅しをかけるときは、自分の待ちに自信があって、出アガりできなくてもツモれると確信しているケースだけです。
とくに2度受けのピンズ部分なので、そんなこともあるかもしれないけれど通るかもな、という弛さも子方に与える意味においては、やはりは手の中にキープしておいたほうがいいでしょう。
ここまでは喰いタンを駆使する話でしたが、そんなにうまい話が転がっているわけでもなくて、が先に入って
や
がチーできる前に、ツモ
や
が来ることも多いはずです。
いずれも打でしょうか。
このとき頭の中では、リーチと引き換えには出ていってしまうかもしれないな、という思いが馳せるはずです。
リーチ・ピンフ・赤なので、親リーチとしては十分かと思えるわけです。
まあここまでの話はごく普通のお話。
実はここからが本題で、冒頭の手牌に話を戻します。
ここから5巡目に何を切るのか?
私の<麻雀脳>は恐らく次の3点にスポットを当てるはずです。
1.東1局の構えとは…
2.自分の可能性はどこまで…
3.が重なった意味は…
以上の観点から導かれた選択肢は唯ひとつ。
打。
これしか見当たらないんです。
まずは1.の東1局の構えについて。
これは極めて抽象的で思想的な話になるのですが、どうして私は打つのか?何を見ようとしているのか?この大きな命題に対して、明確な回答を打ち出せる局が東1局だと思っています。
どうして私は打つのか?
それは己がいったい誰なのかを知るために打っているところがあります。
わかっているようで、まったくわかっていない、それが自分自身のことなのではないかという思いがあります。
ただ、麻雀を打つと、136枚の牌たちが私の耳元で、あるいは心の奥底にやってきて、「おまえはこういう性格で、弱さや情けなさがこういうところにあって…」と教えてくれることが多いんです。
何を見ようとしているのか?
自分の心を見ようとしています。
そして2.自分の可能性はどこまであるのか?という点についての答えは、<無限>であると答えざるを得ません。
まだ開いていない回路が無限にあると思っているので、ひとつでも多く開けたらいいなと思いながら打っています。
3.のが重なった意味については、トイツ好きの私としては、そもそも
と
がトイツになっていた手牌ですから、早い巡目にスジ同士が重なっているので、<トイツ場>かもしれないという思いがあり、
まで重なったのでますますその思いが強くなった巡目ということになります。
こんな最高形を胸に抱きながら、を切っている自分がいるのです。