
今まであまり私個人の打ち方について語ってこなかったので、プロ生活四十年で培ってきた「麻雀とは何か?」を記しておきたいと思います。
もっとも大上段に構えてみたところで「麻雀とは何か?」の1割も理解していないところはご容赦ください。
<東1局>
この開局は私が一番大事にしている局と言っても過言ではありません。
この局の入りかた次第でゲームの趨勢が決まってしまうことが多く、私自身の<麻雀観>が色濃く反映されます。
東1局は何も自覚できていない局ですから、とてつもない<運>があるかもしれないという前提で手牌を進行させます。
もっとも、ほとんどの開局ではその想いが打ち砕かれるわけですが、大きな目標を掲げて打っていくという入りかたが私にはフィットしているようです。
東1局東家の配牌です。
ここからの第1打は
。
第2打は
。
大きな目標を掲げるわけですから、こんな最終形を描いています。
この最終形に必要な牌は
、
、
、
、
の5枚です。
そんなうまくいくわけがない、そう考えるのが普通です。
それでも私は極めて高い<運>を携えて座っているかもしれないという淡い期待をもって第1打、第2打と選択していきます。
もちろん多数派の第1打は
でしょう。
123の三色、マンズの一気通貫の芽を摘むことなくダブ東のポンにも備えられる、何ひとつ文句のない選択に見えるからです。
でも早めに引ければチー・ポンを交えながらこんな最終形も視野に入るはずです。
開局の親満は嬉しいものですし、たとえ
を引けなくても、ダブ東が鳴けて5800をアガれれば幸先のいいスタートとなるはずです。
そんな現実から遊離していく![]()
外し。
道中
を引いてしまったらツモ切りすることとなり、河には![]()
![]()
と並ぶわけですが私はこの事実だけを直視します。
いわゆる手なりで打っていれば
含みの1組が完成して親満に一歩前進できたということは極めて高い<運>ではなく、やや高めの<運>をいただきながら座れたんだなという自覚です。
ただし、
が入っていたとしても和了まで到達していたかはチェックのしようがないため「藪の中」です。
なぜならダブ東をイチ鳴きしないからです。
東1局の親で少なくとも5800が見える手牌でイチ鳴きしないのは不自然だろうという声は当然あるでしょう。
これが私の<東1局>の思考というか<麻雀観>で、もしかするととてつもなく高い<運>に恵まれているかもしれない、その前提で打つことで「見えないものを見よう」としているのです。
<南1局>
高い目標を掲げて入った東1・2局。
そして東3局・4局と進み、自分の身にも様々な好運や災厄が訪れこの局を迎えています。
ここからは<大局観>を前面に出して打っていきます。
ここで言う<大局観>とは私流に解釈しているものですから、正しい用語の使い方ではないかもしれません。
その<大局観>とは、1局ごとに変化する<運>に見合う自身の役割(できること)を客観的に確認することです。
主観的に判断してしまうと、相手との点差や守るべき順位のことが先行し、「こうしたい、ああしたい」と、出来そうもないことまで願望のまま打っていくことになります。
ところが<大局観>に従って打つことになると、手牌を見ても客観的な判断ができるため、叶わぬ夢を追いかけることも無くなります。
南1局東家6巡目
さてここから何を切るのか?
迷うところですが<大局観>に従う私の選択ははっきりしています。
わかりやすいようにこの親が置かれている状況を3つに分けておきます。
A.+15000
B.原点
C.▲15000
このABCで私は同じ手牌・同じ場況でも選択を変えて打っています。
【A】
かなりプラスしていますから、できることは沢山あり、希望も叶いやすい状況と判断します。
打牌は
。
ツモ切りします。
従って狙いの最終形は
この2通りの最終形になると踏みます。
同じ三色でも次のような最終形は描きません。
ドラの
。
これが引けるか引けないかで最終形は大きく変わります。
この局の時点で+15000という身であることから、私の<大局観>による判断では
は引ける、というのがかなりの確信をもっての結論です。
そもそもドラという存在は<運>に左右されるところがあり、七対子がその典型で、持ち点が増えれば増えるほど先にドラが対子になっていて、持ち点が減るほどにいくら待ってもドラは重ならないのです。
これは<大局観>を前提とした私の<麻雀観>の骨格を形成しています。
【B】
南1局を迎えて原点ということは、可もなく不可もない状況。
大望は抱けないものの、悲観的になるほどではなく、和了しやすい形を最終形にしてリーチをかけていける状況と判断します。
従って三色にはこだわらず形を優先して
を切ります。
こんな最終形を目指します。
<大局観>に従っての好形テンパイ作り。
これがこの局のテーマになります。
【C】
▲15000という重荷を背負って迎えた南1局の親。
心情的にはとにかく連荘して少しでも失点を回復し、できうるならば2番手浮上や、さらにはトップまでという想いに駆られるはずです。
でも私の<大局観>からは和了までの道は険しいはずで、いま6巡目2シャンテンの手牌ゆえ9〜10巡目にテンパイしないようなら撤退あるのみと考えます。
この6巡目での打牌は
。
ドラ
は引けません。
危険なドラ表示牌はさっさと手放し、続けて
も河に切っていきます。
これらのテンパイが9巡目までに叶えばリーチをかけられますが、テンパイが10巡目以降になるようだとヤミテンからのオリという進行になりそうです。
ピンフのみのテンパイですから、9巡目までにテンパイしてもヤミテンで我慢することも大いにあり得ます。
「親だから」などといつもと同じような気持ちで子方を抑えつけようとすると、手痛いシッペ返しが待っていると<大局観>は語ってくれているからです。
ここまで、開局と南1局における私の打ち方と、その背景にある<麻雀観>をお話ししました。
次回はこの話の続きと、私が第1打に字牌を選ばない真意を記したいと思います。