ラス前やオーラスを迎えて大きくマイナスしているとき、あなたはどんなことを考えて配牌を取ってますか?
まだ他に考えがある人もいるでしょうが、代表的な考えを5つ挙げておきました。
私の考えかたは以下になります。
こんなところでしょうか。
マンガンツモで3着に浮上できる点差であっても、ラス前やオーラスまで、私自身の内容が悪かった場合には、自らへの戒めとして浮上しようとは考えません。
そんなこと言ってたら、成績に支障をきたしやすくなるだろうし、競技性に馴染まないある意味場に偏りが生じる可能性もあるのでは?という意見は理解できます。
それでも私は、ラスを受け入れることも打ち手としてとても大切な姿勢なのではないかと考えて打ってきました。
賛同して欲しいとは言いませんが、今回は私の長年培ってきた麻雀哲学にお付き合いいただけたら嬉しいかぎりです。
南3局西家1巡目の手牌です。
もドラもある配牌。
持ち点はマイナス14000点。
3番手の親とは13000点の差、2番手の南家とは16000点の差のラス目にいます。
さて皆さんの第1打は?
ここでマンガンをツモっておけば、3番手の親と1000点差、2番手の南家とは6000点差でオーラスを迎えられます。
ハネ満をツモることが出来れば、3番手に浮上し、2番手の南家とも1000点差となるばかりか、トップ目にいる北家に12000点差に迫れるのです。
これらの点差を考えた場合、この配牌からリーチをかける想定としましては
Aプラン
Bプラン
Cプラン
Dプラン
Eプラン
こんなところでしょうか。
これらのプランを想定したときの第1打は必然的にかになるわけで、恐らく皆さんの中でも支持される方は多いのではないでしょうか。
翻って、私の第1打はです。
序盤の河はこうなります。
7巡目以降は、下家の河に目を光らせながら、できるかぎりチーされない牌を探していく作業に入ります。
尖張牌の3や7は手牌の急所になりやすい牌ですから、できるかぎり早い巡目に処理しておきます。
自分だけ置いていかれたラス目で南3局を迎えたときの心構えとして、自分の切る牌がチー・ポンされぬように細心の注意を払いながら打っていこうと考えているのです。
もドラも含まれる配牌なのに、A~Eまでのプランを最初から放棄してしまうのはもったいないじゃないか、と言われてしまいそうですが、第1打から配慮して打っていかないと中盤以降手詰まりを起こす可能性が高くなってしまうのです。
よく見かける光景として、ラス前やオーラスで10000点以上マイナスしているラス目の惨状をおさらいしておくと
マイナス思考?
いいえ、そんなことはなくて、こういった光景は日常茶飯事起きています。
それがまた楽しいこと、と割り切って第1打にやを選ぶのは打ち手の自由です。
ただ、私の麻雀哲学というか美学としては、ラス前やオーラスに至るまで、道中自分が蒔いた種でラス目にいるときは、手牌に溺れて更なる不始末をしたくない、そう考えて身をひこうと決めているのです。
もう1例挙げておきましょう。
オーラスの親、5巡目の手牌です。
持ち点はマイナス16000点のラス目で、3番手とは14000点離れています。
私はここからを切り、次にを切り、を切っていきます。
場に出ていないやは切りません。
やも切りません。
なぜならドラがなので、下家がと持っていたり、と持っていたりして、チーと言われるかもしれないからです。
状況を悪化させてオーラスを迎えているわけですから、<投了>を打牌で表現しようと考えているのです。
何を言ってるんだ。
ギリギリまで諦めず粘っていくのがプロとしての責務なのではないか。
そう責められることは覚悟のうえでの<投了>です。
プロであるならば、このオーラスの行く末を予測できないと言うのは恥ずべきことだと思っています。
もしかしたら・・・
あわよくば・・・
とりあえず・・・
などという御託を並べている暇はないと思っていて、このオーラス1局をもってゲームを終わらせます。
私の美学が正しいとはツユほども思っていませんが、私には私の生き様があるように、私の負け方があるに過ぎないのです。
ですから、この私の美学に賛同して欲しいと言っているのではなく、もし何かの機会に私の職務放棄のような打ち方を見かけたら、「ああ、アイツはあんなこと言ってたな」くらいの理解をしていただけたら嬉しいなと思うのです。