






                    	   雀屋のメンバーなどという不逞の輩の分際で──、恥ずかしながら先日一児の父親となった。
                           私自身、さんざん親不孝をしてきたものの、流石に今回ばかりは田舎の実父も喜んでくれたようで、すぐに実家から飛んできて、初孫の誕生を祝ってくれた。
					
                    	   そのとき驚いたのだが、頑固で不器用な昭和の親爺という印象しかなかった父が、とても手慣れた様子で赤ん坊を抱え、上手にあやしていたのである。
                           ミルクを飲ませ、背中をとんとんと叩いてゲップをさせていた。
                           ゲップ一つでも、結構難しいものなのである。父が帰ったあと、私もこれからしっかり子育てをしなければならないなと決意した。
                           流石に嫁に任せっ放しで、独り身の頃のように、日々奔放に遊び歩くわけにはいかない。
                           こういうときMaru-Janの存在は有難い。赤ん坊をゆりかごに寝かせ、左手で揺らしながら自宅で麻雀を打つこともできるのである。
					
                    	   待ち牌は、
が河に1枚飛んでいる。
                           
も上家が8巡目に飛ばしており、
も
も容易に河に放たれそうなイメージがあった。
                           では
と
どちらを切ろうか。
                           これは結構微妙な手牌だと思う。しかしおそらく──、
切りの
-
・
待ちのタンヤオリーチが期待値的には微差で勝るだろうと思われた。
                           こんなもの瞬間に計算できるわけではない。ただ、経験が私にそう教えていた。
                           河にもう1枚でも
が出ていたら、もっと明確に決断したと思う。
                           ゆりかごの我が子は、不思議そうにこちらを見ていた。
                        
切りリーチ。結果は
を一発でツモっての満貫であった。
					
                		   ではちょっと期待値を比較してみよう。
                        
切りリーチはこの形だ。
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                    	   ロン和了りの場合、
で3900、
で8000だ。
                        
も
も残り3枚ずつであり、
                        3900×3+8000×3=35700
                           これが
切りリーチだと、
-
・
の7枚で5200となる。
                        5200×7=36400
                           つまり、
切りリーチが若干だが良い。
					
                    	   ツモ和了りの場合、
切りリーチは
で5200、
で跳満だ。
                        5200×3+12000×3=51600
                        
切りリーチは
-
・
どれも8000。
                    	8000×7=56000
                           これも同様。
					
                    	   結局、ロン和了りもツモ和了りも
切りリーチが勝る。
                           もう1枚でも
が出ていればもっと明白な差になるだろうという感覚も合っていた。
					
                    	   もう、10年メンバーをやっている。
                           私自身、計算能力が優れているわけでは決してない。むしろ暗算など苦手な方だ。
                           ただ、瞬間的に損得を判断する経験だけは、確かに体に染みついていたのかもしれない。
                           経験というものは本当に馬鹿にできないものだ。
                    
                    	   ゆりかごの中から、赤ん坊がアーアーと笑っているのを見て思い出した。
                           父が赤ん坊を上手に世話していたこと──、それはつまり、父の過去の経験の賜物だったのである。
                           30年前、父が初めての子育てに苦心して培った経験が、確かに父の手に残っていたのである。
                    
                    	   昔から、決して父と仲のいい方ではなかった。私は反抗的だったし、古い人間だった父とはいつも相容れなかった。
                           それが、私が自分の子育てをして初めて──。
                           子供のオムツを換え、ミルクをやり、風呂に入れて──、自分の記憶になかった、父の愛情と経験を知ったのである。
					
